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手と渡り鳥の記憶
ふるさとに住む友人の家には大きなシュロの木がある。
古くからその場所にある日本家屋のお宅に異国風の植物は、につかわしくないものだと幼心に思った。
大人になってから、そのお宅のお父さんにシュロの木の話を聞いた。
「この木はね、昔からあるんですよ。農家では、縄とかつくるときに使ったりするんです」
シュロの木は、友人とその家族たちと共に時間を過ごし、何世代も前から彼らの暮らしに関わってきたのだ。
シュロの木の話から、ある日の記憶を思い出した。
学校の帰り道に渡り鳥の群れをみた。
こんな都会で遭遇できるとおもわなかった光景がいまでも目に焼きついている。
彼らがこの空を渡るのは何度目だろう。
もしかすると彼らのおじいさんや、そのまたおばあさんも翼を広げていたのではないかと、私の知らないこの街の姿を見つめてきたことを想像した。
この街は、修復士の手に施された絵画作品のようだとおもう。
修復された絵画作品は、作品をつくった時点、時を経て修復した時点、そして現在というその時々の人の手に触れ育っていく。
過去を受け止め、現状を把握し、未来になにを残すべきなのかを考えながら。
私のふるさとも、人の手が加わった集積によって粛々と姿を変えていった。
これからもきっと変わっていくとおもう。
だとするならば、わたしの知っているこの街の記憶を描いてみようとおもう。
いまのこの街の手触りと、親密な経験を。
100年先の人々に大げさに着飾らないこの街の記憶を届けよう。
未来を考えるための小さな声をあげる。